【住所】
〒870-0808 大分県大分市上八幡三組
【TEL】097-534-0065
【FAX】097-536-1475


■JR日豊本線「大分駅」下車・大分交通バス「柞原行」乗車(約35分)・終点下車・徒歩(参道)約5分
■大分自動車道(高速道路)大分ICより約15分
■自動車なら市内中央より約20分
■駐車場(無料)本殿まで徒歩約2分

・各種祈願祭を毎日受け付けております。(午前8:30分から午後4:30分)
・地鎮祭等各種祭典も受け付け致しております。
・時間外のお申し込みは社務所までご連絡下さい。

お問合せメール

■■手水舎■■



■■ホルトの木■■



■■南大門■■



■■大楠■■



■■宝物殿■■



■■桜門■■



■■西門■■



■■東門■■



■■廻廊■■



■■拝殿■■



■■申殿■■



■■本殿■■



■■社務所■■



■■参道■■



■■社 号■■
柞原八幡宮(ユスハラハチマングウ)
・大正五年(1916)国幣小社に昇格。



■■創 建■■
天長四年(827)延暦寺の名僧
・金亀和尚が宇佐神宮の参篭にて神告を蒙り、柞原山に勧請したのを、当宮の創設起源とする。



■■御祭神■■
東御前
・仲哀天皇
「帯中日子命」(タラシナカツヒコノミコト)


仲御前
・応神天皇
「誉田別命」(ホンダワケノミコト)


西御前
・神功皇后
「息長帯比女命」(オキナガタラシヒメノミコト)



仲哀天皇・・熊襲の反乱を御親征の為、船を率いて海路筑紫に幸し、これを討たれたが、陳中にて崩じ給うた。
神功皇后・・御幼時より聡明宜つ容姿端麗であられた仲哀天皇の二年に皇后となられた。内助の功多く、天皇の没後、男装して海を渡られ新羅を征服す。爾来、応神天皇を奉じ政をとり給う事七十年、御年百歳にて崩じられた。
応神天皇・・仲哀天皇の皇子、神功皇后が御母。天皇は深く国内外の政治に大御心を用いられ、又、文学にをそそがれ、大船を造られ交通の道を開かれ、国内は勿論、韓土との交通も頻繁となる。又殖産興業にも力を注がれた。故に「厄除・開運の神、諸産業の守護神」として崇められている。


■■皇室の御祟敬■■

当宮は承和三年(八三六)、右大臣・清原夏野が勅を奉じて国司・大江宇久に社殿を造営せしめ、爾来、国司の厚い崇敬を受け、一方皇室も厚く尊崇せられた。 又、嘉承三年(一一〇八)には、勅使の参向があり、敷地の四至を定め税を免ぜられた。 仁平三年(一一五三)には、鳥羽法皇が六十歳の御祈願を修せられ、神領を定められた。 元暦元年(一一八四)には、源範頼が平氏の追討を祈願したのをはじめ、源頼朝・領主(大友・竹中・日根野)・武家の崇敬も非常に厚く、近世には、社家二百余・坊舎三十を教えた。



■■境 内■■
境内散歩途中には、大友氏の時代にポルトガル人が寄せたと伝えられる「ホルトの木」が大枝を広げている(根回り約六・四m)。又、御殿廻廊より春の新緑、秋の紅葉は見事である。
当宮は、大分市の西、二葉山(八幡柞原山)の麓に鎮座しています。一の大鳥居は696号線に入るとすぐに建っていて、神社はここから約四kmも先に鎮座するという、嘗ての大社地を彷彿とさせる神社です。
神社入口右側には天を突く様な大杉が聳え、長い参道の途中には日暮し門とも形容される、随所に見事な彫刻が施されている南大門が建ち、その手前には国指定天然記念物の大楠が聳えています。多くの大楠の中でも、この大楠の巨幹はゴツゴツとした沢山の瘤をつけ飛び抜けて大きく、正に巨樹。
堂々と聳えるその姿には畏敬の念が湧き上がり、暫しの間見とれてしまう事でしょう。
南大門を潜ると左には二葉山稲荷神社が祀られ、二手に分かれた参道は、右は楼門へ、左は神門へと続いています。
神門内を入ると、境内に建つ社殿はとても変わった造りで、南に左右廻廊付きの楼門が建ち、参拝は廻廊から履物を脱いで上がり、拝殿前に正座して行います。ここから申殿、本殿が正面に見えますが、本殿は朱漆を主調に彩色がされ、二棟が連結された典型的な八幡造りで嘉永年間(一八四八~一八五四)に再建されました。



■■天然記念物■■

大楠(樹齢三千年以上)は、境内参道西側(南大門の西)にそびえ、樹高三十m・根回りは三十四m・地上二mの幹回りは十九mもあり、幹の下部は空洞になっており大人が十数人も入る事が出来る。
我が国でも有数の巨木であり、大正十一年三月に国の指定を受ける。
平成元年、環境庁巨木調査にて全国大七位。柞原(ユスハラ)八幡宮の参道、長い急な階段を上がっていくと、丁度真ん中付近に「日暮門」があります。その日暮門の左手に、「柞原八幡宮の御神木のクス」は周りを威圧するように立っています。
地上十数mの所から幹分かれして真っ直ぐ上に伸びていますが、幹の一つは折れており大きな切り口を見せています。
八幡宮の神域は、鬱蒼とした原始林に覆われ目も惹く巨木も数多くありますが、このクスは飛び抜けて大きく、正に巨樹・・ひときわ目立つ存在です。なお、幹の中は大きな空洞(八.五m×十一m)になっています。



■■幸運の扇石■■

境内の参道の石畳に、踏めば願いが叶うと古くから言い伝わる「幸運の扇石」二枚が敷かれたいます。御参拝時には、扇石を探して願を掛けて下さい。場所のヒントは「社務所下」「東門」です。




■■国指定重要文化財(十六件)■■

[太刀]銘 国宗・・刃長 七五・八糎(二尺五寸一厘)、反り 二・七糎(八分九厘)
銘は国宗と大刀表に二字。庵棟で棒樋の彫りを中心まで搔流してある。刃紋は大模様はなやかな丁字乱れに尖刃が交っていて乱うつりもある。地鉄は板目がはだ立って刃の中にも鍛目があらわれている。作者は、有名な備前三部国宗とみられ今から約七百年前鎌倉中期の備前の名工である。後に鎌倉に住した。大友氏の寄進と伝えられる。



[太刀]銘 源国(以下一字不明)・・刃長 一・〇八米(三尺五寸六分)、反り 四・六糎(一寸五分)
刃紋は、直刃・小乱。刀身の表裏に彫刻がある。太刀表は、天蓋・種子・蓮台・鍬形・三鈷柄剣・裏は種子・蓮台・素剣で何れも仏教に関連の深いものである。中心は生ぶ。銘は源国安と読まれるが、年号銘はさび朽ちのため、その中の「平戌十二月」の五字だけが判読できるくらいである。社伝の古備前国包というのは安の字を読み誤ったものと思われる。もし国包だとすると千年近くも前のものということになるが、銘に源姓があることや彫物の配合、様式等からもそれはうなずき難く、鎌倉末期頃の京鍛冶系統のものとしか思われない。大友氏が寄進したものと伝えられる。



[薙刀直し刀]銘 国重・・刃長 八一・五糎(二尺六寸九分)、反り 二・一糎(七分)
銘は「国重八幡大菩薩天満大自在天神」とある。この形は、元来なぎなたであったものの中心を切りつめ、先の棟方を少し削り落として刀として使用されるようになおしたものである。刃紋は沸できの互の目と丁字をまじえた乱れ、地鉄の鍛えは板目で刃寄り柾交り肌立って地沸がつき、鉄色は黒く、表に白けがある。棟に切り込み(戦闘により)の跡がある。作者は社伝では長谷部国重となっているが銘や刃紋がそれと相違しており、鎌倉末期から吉野朝時代の肥後延寿一派の同名の者ではないかと見られる。大友氏の寄進と伝えられる。



[銅造仏像]・・総高 三七㎝、像高 三〇.七㎝
柞原八幡宮に伝わる小金銅仏は、社伝によると阿弥陀如来像で、当宮の本地仏といわれる。頭部に螺髪を刻まず、眉は直線に近い単純な孤を描き、まぶたは厚い。前額から鼻筋が段落を作らず、一直線に通るのは奈良前期様式(白鳳)の特色を示している。右手は臂を曲げ、親指と中指とを軽く接し、左手はこれと対角線状に斜めに垂下し、掌を軽く窪ませ、法衣を体に巻いている。左肩から垂れる衣の端を蛇行曲線状に表わす手法に、独創的なものがあり、衣のひだを波状の繰り返しに造る手法にも、流麗なリズムが感じられる。台座は肉の厚い重弁で、八葉蓮弁の反花が力強い。いわゆる胡桃型である。所々に鍍金の跡が残っている。法隆寺献納御物四十八体仏などと共に、日本に残る小金銅仏中の優れた作の一つである。九州には数少ない奈良前期小銅造仏像としても、まことに貴重な存在といえる。



[金白檀小札浅葱糸威腹巻]・・室町時代
兜鉢前後 二一㎝ 左右一九.三㎝、銅中央高六一㎝ 袖幅三五.〇㎝
美麗で気品の高い腹巻である。立挙は前後とも二段、長側四段、草摺十一間六段下り、胴、袖及び背面の隙間を覆う背板は盛上本小札金白檀磨き、爽やかな浅荵糸威で、金具廻は、黒塗り桐紋と鳳凰文の金平蒔絵、杏葉紋浮彫の金物を据え、袖と草摺の菱縫板にも同紋の金物を打ち、八双鋲は杏葉紋と酢漿紋である。兜は二十二年間総覆輪筋兜、鉢高く、うねりのある天草眉庇と板物五枚下りの𩊱を設ける。本品は、中世末期から近世初頭の甲冑改革期の特徴を有し、当代の腹巻を代表する一優品といえる。



[柞原八幡宮文書(絵図付)]
文書は、平安時代二八通、鎌倉時代三一通、南北朝時代三三通、室町時代以降元和七年まで一二一通におよぶ。平安時代の文書二八通は代々崇敬の厚い國司との関係から神事、法会、社殿造営などに関するものが多い。文書はすべて正文で、土地制度や國司制度の変遷を知る上でも重要なものである。鎌倉時代の文書は、荘園史、神祇史、宗教史の史料として、また南北朝以降は守護大友との関係を解明する資料として重要である。附の絵図は江戸時代前期の極彩色のもので往事当宮の盛時を伺い得る。



[本 殿]
嘉永三 (一八五〇)年建築
前殿・後殿からなり梁間二間で八幡造。
背面柱筋東側に脇障子、西側には脇社「華堂」を設ける。軸部は朱塗りで壁は胡粉塗り、組物は極彩色である。紗綾形文様や三つ巴紋、亀甲花菱紋が描かれている



[申 殿]
宝暦二 (一七五二)年建築 桁行三間、梁間一間、切妻造、妻入で、現在は桁行方向に舞良戸が引き違いに入り、本社側にも建具を入れているが、戦前の古写真には建具はなく、吹き放しである。
江戸時代の絵図類にもここに建具を描く例はないことから、本来は建物の柱間はすべて吹き放しであつたと考えられる。



[拝 殿]
拝殿は「旧宮大工家文書」によれば、おそらく寛延二年の大火で焼失したであろう。
それらしき建物名はみえないが、両側の申殿・楼門が焼失し、一円社殿が焼失した中でこの建物だけが焼失を免れたとは考えにくい。明治五(一八七二)年に屋根替の記録が現れる。したがって少なくとも江戸時代の建物である。



[楼 門]
楼門は宝暦九(一七五九)年建築
三間一戸楼門、入母屋造、内開き桟唐戸で菊花紋章があり、正面軒唐破風、左右に切妻造の回廊、背面に切妻造の渡廊が続いている。正面両脇に石造狛犬、隋神を安置し、金剛柵を回らせている。軸部、桁、梁、組物、大瓶束、棟木、垂木、破風板、懸魚等、全て朱塗りで、壁板は胡粉塗、垂木鼻や木鼻や斗の木口黄に、虹梁の絵様は緑に塗られている。



[東宝殿]
宝暦七(一七五七)年建築三間社流造、平入で、軸部、桁、梁等、全て朱塗であり、壁市は胡粉塗、組物や蟇股・木鼻、要所に付けられた彫刻は極彩色、向拝柱には金襴巻を描き、また、右脇障子は、表に「木に鳥」、裏に「猫二匹と手鞠」、左脇障子には、表に「跪く武士」、裏に「木と犬」、を描いている。



[西宝殿]
宝暦七(一七五七)年建立
三間社流造、平入で、軸部、桁、梁等、全て朱塗であり、壁市は胡粉塗、組物や蟇股・木鼻、要所に付けられた彫刻は極彩色、向拝柱には金襴巻を描いている。



[回廊]
現在の回廊には、柱に板壁や内法長押、切目長押が取り付いていたことを示す痕跡が残されている。文献と残された痕跡から、寛政十(一七九八)年の建築で、これに先立つ宝暦四(一七五四)年の本殿の柱を利用していると考えられる。



[西門]
寛延の大火後、時を隔てずして建てられ、その後は屋根の葺き替え及び細部の修理だけしか記録では確認できない。龍の大彫刻物のうねるような動きは、幕末の様相を呈しているので、部分的に寛延大火災後の部材を残してはいるが、幕末の 建物と考えられる。



[南大門]
明治三(一八七〇)年の上棟で、四脚門、入母屋造、内開き桟唐戸、前後唐破風裳階付、切妻造である。「二十四孝」や、花鳥風月をあらわした彫刻が多く配され、別名「日暮門」ともよばれる。豊後国日田の豪商「広瀬久兵衛」らの寄付により建てられた。



■■県指定重要文化財(十点)■■

[八幡宇佐宮御託宜集]
この託宜集は「我名護國霊験威力神通大自在王菩薩」の一字づつを各巻頭にいただく十六巻と裏書二巻の巻物十八巻である。この託宜集は由原大宮司藤原縄貞が、宇佐の宮佐古心乗坊権律師永義に請うて書写したもので、文明二年(一四七〇)四月一 日から初めて十五日に書き終えている。奥書は各巻ともほぼ同八巻、右当社御縁起者、從往古至干今、所々於末社雖不致安置、大宮司縄貞依敬神。望任神慮宮佐古山心乗坊佳時権律師永義当社住侶四人以筆書切畢。文明二年庚(寅)從卯月一日至十五日願主由原大宮司藤原縄貞。



[木造不動明王立像(鎌倉時代)]




[木造女神坐像(平安中期)]




[木造祖師坐像(平安中期)]




[紙本著色由原八幡宮縁起絵巻(附極書二通)]
絵巻二巻は室町時代末期の作品である。一巻は縦三四・八㎝横一七・八m他の一巻は縦三四・八㎝横一八・三五mである。作者は、詞は青連院宮尊鎭法親王で絵は土佐光茂である。



[山水蒔絵縁起絵巻納箱]
紙本著色由原八幡宮縁起絵巻二巻の納箱で、金梨地の箱の四面には、金、銀地高蒔絵の精巧な山水図があり、蓋は印籠で、表に「由原八幡宮御縁起」裏に「奉寄進元和八歳八月吉日、中川内膳正源朝臣秀征」の記銘がある。元和八年(一六二二)に中川秀征の寄進によるものであることが分かる。漆工芸品のす ぐれた遺品の少ない大分県では極めて貴重な資材である。



[紺紙金泥増壱阿含経(十一紙)]
阿含経は小乗経の総名で、小乗仏教の根本教典である。増一阿含経は序品より大愛道般涅槃品にまで五二品に分かれ、主として人・天の因果の理法を説いている。増一阿含経は小径を分類集録しているが、一法を増して十一法を集録しているので、増一と言われている。この写経の作者は不明。本紙は十一紙からなり、平安末期から室町時代の製作と推定されている。



[板彫不動明王立像(一軀)]




[板彫多聞天立像(一軀)]




[木造菩薩形坐像(一軀)]




[八王子社]
明和七(一七七〇)年建築 一間社流造、平入で、正面に蔀戸を設け、両側面および背面は板壁である。当初から大きな変更はなく、ただ屋根葺材が檜皮葺から銅板葺に替わっている。



[宝蔵]
土蔵造、二階建、瓦葺、平入で、外観腰板部分は角釘が使用される。「旧宮大工家文書」における、寛延二(一七四九)年の焼失建物のリストには上がっていない。おそらく多くの宝物が焼失したので、その後に建てられたと思われる。



・その他多数の宝物を所蔵

■歳旦祭(一月一日)
元旦に、皇室ならびに国民の繁栄と農作物の豊作と諸産業の発展を祈願。



■祈年祭り(二月十七日)
その年の、五穀豊穣と諸産業の繁栄を祈願。



■祈年祭り(二月十七日)
その年の、五穀豊穣と諸産業の繁栄を祈願。



■例大祭(三月十五日)
古くは「初卯祭」と称し、神社で一番重要な祭典である。神社本庁より献幣使の参向がある。



■水無月の大祓式(六月三十日)
半年間の罪穢を祓戸の神の御神威により、切麻にて解除する儀式※切麻とは半紙と麻苧を約2㎝角に切ったもの。



■夏越祭(七月三十一日)
古くは神興三基が浜まで下りたがり現在は「金幣」がこれに代わる。生石の浜にて「汐搔神事」を斎行し、帰宮後境内庭上「茅輪神事」。罪穢の解除。





■武内大神渡御祭(九月一日~九月七日)
申殿内に祀る「武内大神」がその本社・賀来神社に御神幸になられる。別名「賀来の市」と称され一日と七日に神事が斎行される。





■仲秋祭(九月十四日~九月二十日)
放生会神事(生き物に感謝~解き放つ)が起源別名「浜の市」と称され十四日に氏子の奏する渡り拍子の中を、神興三基が御旅所の仮宮に渡御する。中日には「放生会の神事」が行われ、期間中は花火大会・神楽等の伸賑行事が奉納され、境内には盛大な「市」が立ち賑わう。起源は、大友能直が豊後国守護となった鎌倉時代初期に始まり現在に至る。名物「しきし餅」「一文人形」は有名。










■新嘗祭(十一月二十三日)
祈年祭で祈願した事の成就を感謝する。新穀を神前に供える。



■七五三(十一月中)
子供の成長を感謝する。七歳(女児)五歳(男児)三歳(男女児)十一月中随時受付け





■師走の大祓式(十二月三十一日)
半年間の罪穢を祓戸の神の御神威により、切麻にて解除する儀式。※切麻とは半紙と麻苧を約2㎝角に切ったもの。



■除夜祭(十二月三十一日)
大晦日の深夜、その年の感謝と、来る新年が無事に迎えられるように祈願。



■月次祭(毎月一日・早朝)



■日供祭(毎日早朝)



柞原八幡宮の社頭にて頒布授与しております「神符・守札・御守・記念品等」を御紹介致します。
自由にカスタマイズして使ってください。
















平成二十七年中の厄年表
「厄年」とは

季節に四季があるように、人間の一生にも四季があります。厄年も人の一生に於ける四季の一つといえます。
「厄年」とは「厄難」のある年として忌み慎む年齢であり、「陰陽道」の説によって広まったと言われています。






当宮では皆様の様々な御祈祷を奉仕致します。御本殿に上がって受ける御祈祷は、厳粛な神事です。ご予約は不要ですのでいつでもおいで頂けます。※御初穂料みより授与される御神札の大きさ、記念品が変わります。

御初穂料
◇個人・・・・六千円より
◇法人団体・・・一万五千円より
◇結婚式・・・・三万五千円より

願目
厄年祓・新車祓・交通安全・病気平癒・家内安全・商売繁昌・作業安全・学業成就・結婚式・その他・・

出張祭(外祭)のご案内
当宮におきましては施主様の御希望される日にいつでも現場へ参上し、地鎮祭、竣工式、等、各種出張祭典を厳修奉仕申し上げます。施主様をはじめ、ご家族様、工事関係者の皆様の身の安全、又益々御健勝にて立ち栄えます事を祈念し、心を込めてご奉仕致します。

■■お問合せ■■
豊後一の宮(旧国幣小社)柞原八幡宮
 宮司 安東富士雄
〒870-0808 大分市上八幡三組
電話:097-534-0065
FAX:097-536-2475

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宮司挨拶

平成23年6月20日に本殿・申殿・拝殿・楼門・東宝殿・西宝殿・東回廊・西回廊・西門・南大門(附・宝蔵、八王子社)が国指定重要文化財に指定されました。南大門の側には国の天然記念物の大楠が聳え立ち、樹齢は3千年とも言われ、平成元年の環境庁巨木調査では全国第7位となりました。このように社殿群が造る景観は再建当時の姿をよく残しており、誠に圧巻であります。また宝物殿には、国指定重要文化財や県指定重要文化財の宝物が数多く収められています。このような貴重な文化遺産を後世に正しく伝えることは、私たちの大きな責務であります。

柞原八幡宮がより望ましい姿で保存活用出来るように尚一層努力してまいる所存であります。



国指定重要文化財  保存修理奉賛会

設立趣意書


当宮の御本殿は、嘉永3(1850)年再建されており、160余年を経て、今日に至りましたが、御本殿など建物に老朽化が見られ、殊に御本殿は劣化が顕著で、早急な保存修理を余儀なくされております。 そこで、これら社殿群の文化財としての価値を見定めるべく、平成19年2月に文化財調査委員会を発足、本格的な調査を実施し、平成22年3月に大分県の重要文化財の指定を受け、直ちに国の文化財への指定申請を行い、平成23年6月に、本殿等10棟が国の重要文化財に指定され、これを機に文化庁の指導のもと、保存修理を行うこととなりました。 つきましては、御祭神の八幡大神の御神縁により、御敬神の念篤い皆様方には、何卒趣旨に御賛同を賜り、格別の思し召しを以て、御浄財の御奉賛を賜りますようお願い申し上げる次第です。

平成23年12月吉日



〇 事業内容

・第一期事業

(本殿)嘉永 3 年(1850)/木造切妻造銅板葺/解体修理

(東本殿)宝暦 7(1757)/木造切妻造銅板葺/解体修理

(西本殿)宝暦 7(1757)/木造切妻造銅板葺/解体修理

(附・宝蔵)江戸後期/木造切妻造桟瓦葺/半解体修理

(附・八王子社)明和 6 年(1769)/木造切妻造銅板葺/屋根葺替・部分修理

・第二期事業

(申殿)宝暦 2 年(1752) /木造切妻造銅板葺

(拝殿)江戸後期 /木造切妻造銅板葺

(楼門)宝暦 9 年(1759) /木造入母屋造銅板葺

(東回廊)寛政 10 年(1798)/木造切妻造桟瓦葺

(西回廊)寛政 10 年(1798)/木造切妻造桟瓦葺

(西門)江戸末期 /木造切妻造銅板葺

(南大門)明治 3 年(1870)/木造入母屋造銅板葺


総事業費 約20億円



その他


社務所・斎館・参集殿の改築 (済:平成 28 年竣工) 境内の整備等


○浄財募金目標額 3億円

○御奉賛依頼額  一口 壱万円(高額は分割可能)

○御申込み
1.郵便局 01740-1-54522 柞原八幡宮社殿保存修理奉賛会

2.大分銀行西支店(普)5138876 柞原八幡宮 宮司 安東富士雄
3.大分信用金庫 西大分支店(普)1053685

奉賛者に対する御待遇詳細


柞原八幡宮 国指定重要文化財 保存修理奉賛会
〒 870-0808 大分市大字八幡987番地 柞原八幡宮内
TEL 097-534-0065 FAX 097-536-2475